2021年07月15日
ポツンと一軒家の黄色い茶畑
こんにちは。
念願の「ポツンと一軒家」に行ってきた静岡の畳屋の姉さんです。
またまた時差ネタです。
あれは確か昨年のこと?テレビ番組で人気の「ポツンと一軒家」と「ビフォーアフター」の合同企画のような特別番組が放送されました。山の中のポツンと一軒家をリフォームするという内容です。
その現場は静岡市葵区諸子沢。工務店の下請け仕事でしたが、なんとそのお宅の畳を弊社が担当させていただくことになりました

私はその放送を観た時からずっとそこに行きたいと思っていました。
弊社が作った畳のお部屋も見たいし、現場に行くまでのスリル満点な山道も、現場の周辺の茶畑が「黄金みどり」という黄色い茶葉なこともとても気になっていたのです。
そのお宅はリフォーム後、「黄金の茶の間」という名前でお茶を提供する場所になっていました。
お茶をいただくには予約が必要です。そして、茶畑に黄色い新芽がある時期は6月が限界?です。
ということで、5月にネットで予約を試みました。自分が行ける日で空席があったのは6月19日のみでした。
ところが、前日の6月18日からかなりの雨。

「明日も雨のようですが、予約はどうしますか?」
と確認の電話がありましたが、どうしても行きたかったので
「私は雨でも構いません!」
と伝えました。
翌日はやはり雨でしたが、これが残念なことではなく、とてもラッキーなことだったのです


というのは、通常ならば半日で4組の予約をとっているそうですが、この日の午前中は他の予約客は雨の為キャンセルしたそうです。
それで、通常ならば「黄金の茶の間」の1キロ程下の方にある駐車場からスリルある細い山道を20~30分かけて歩いて行かなければならないのですが、この日の客は主人と私だけでしたので、家主の佐藤さんが軽トラックで上まで連れて行ってくださることになりました


お陰様で道中も「黄金の茶の間」に着いてからも、佐藤さんと沢山お話ができました。

茶畑の黄色い茶葉は見事でした。

きっと晴天の時も素晴らしい眺めなのでしょうが、雨天でもやっとしている景色も素敵です。
佐藤さんが薪をくべて足湯の支度をしてくださいました。黄色い茶畑を眺めながらの足湯は格別でした。
縁側でお茶を4種類いただきました。
ハンモックも体験しました。
二階にも上がってみました。
そして弊社謹製の畳。囲炉裏のあるお部屋です。
とても寛げるところでした。
また行きます。
畳を通してお客様に感動とやすらぎをお届けします。
障子、襖、網戸の張替えも始めました。
株式会社 新海畳店
〒422-8033
静岡市駿河区登呂一丁目17-2
TEL 054-285-3509
FAX 054-283-2047
2021年07月09日
旧大沢学舎・山神社・仁科港
こんにちは。
夏にもう一度西伊豆に行きたい静岡の畳屋の姉さんです。
前回の続きです。
「旧依田邸」を出て、すぐ近くの「旧大沢学舎」に寄りました。「岩科学校」の校舎に似た感じの味のある建物でした。
そして、これまたすぐ近くの「山神社」にも寄りました。「神社」と聞いて御朱印をいただけるかと思いましたが、無人の神社でした。
ここの本殿には、仁徳天皇、大山祇命(おおやまつみのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)の三祭神が鎮座されています。暗くてよく見えませんでしたが、荘厳な雰囲気がありました。
鳥居の横には「繭霊大神の碑」があります。昔、養蚕農家の人々が、良質の繭が採れるように祈願した所です。
そのすぐ隣には、二十歳になった若者が背負って山神社の石段を上がり力自慢を競った力石が二つあります。ここは境内のパワースポットだそうです。
いつも畳を担いでいる主人がその力石を持ち上げようとしましたが、重くて断念しました。でもパワーだけはいただいたと思います。
山神社を出て、途中のお菓子屋さんで松崎町名物の桜葉餅をお土産に購入し、仁科港に向かいました。facebookの投稿で見つけた「沖あがり食堂」の「いか様丼」を食べる為に!どちらも面白い名前ですね。
「いか様丼」は、すし飯に青のりと烏賊の刺身と烏賊の刺身の醤油漬けと卵の黄身が乗っていました。天草入りのお味噌汁付きで、勿論美味しかったです。
主人は1日限定10食?のいか刺身定食を注文しました。烏賊が新鮮で透き通っていました。
沖あがり食堂を出て隣の売店に寄りました。新鮮なお魚がこんなに安くていいの?という値段で販売されていました。
私は小鯵が沢山入っている1パック140円のものを購入しました。翌日南蛮漬けにしていただきました。
今回の旅行で初めて大沢温泉と仁科港に行きましたが、もっと時間をかけて周辺を散策したいと思いました。今月のオリンピック連休か来月のお盆休みに行こうかな~。
畳を通してお客様に感動とやすらぎをお届けします。
障子、襖、網戸の張替えも始めました。
株式会社 新海畳店
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2021年07月07日
見所いっぱいの旧依田邸
こんにちは。
温泉と古民家が大好きな静岡の畳屋の姉さんです。
前回の続きです。
立ち寄りの湯「依田の庄」からは、一旦外に出ることなく「旧依田邸」に移動することができます。途中に中庭となまこ壁の蔵などがありました。
「旧依田邸」は、今から300年前に建てられた母屋と、200年前に建てられた離れ、幕末に建てられた蔵3棟の併せて5棟が、平成22年に静岡県の文化財に指定されました。
中庭の池のほとりにイ草が生えていました!そういえば昔は松崎町はイ草の産地だったようです。近くの「岩科学校」の資料館に、畳表の織機が展示されていたのを見た覚えがあります。
階段の下が引き出しになっている!古民家でよく見るやつですね。
引き出し兼階段を上って2階に上がると、えんじ色の紋縁の畳の和室になっていました。襖もモダンな柄に張り替えられていて、お庭がよく見える居心地のいいお部屋でした。
更に母屋の入口の方に向かって行くと、やはり紋縁のお部屋が幾つもありました。紋縁の畳はお寺やお城ではよく見ますがこういう所で観ることはあまりありません。高級感がありますね。
でもちょっと驚いたことがあります。紋縁の紋の模様はは畳の端で切れてはいけないと思っていました。しかしここの紋縁はあえて(わざと?)紋模様の中央で切って、隣の畳と合わせて円形になるように作っています。畳の壁側の辺(「下前」といいます)の紋縁は畳の端から端まで紋で始まって紋で終わっているのに、お部屋の中央側の畳の辺(「上前」と言います)は紋が中央で切れているなんて・・・。
こういうやり方もあるのですね。
そしてこのお部屋の襖は真ん中に障子がはまっている襖でした。私はこのような襖を初めて観ました。
(どうやって張り替えるのかな・・・。大変そうだな・・・。)
あ~、気が付けば畳と建具ばかり見てしまっています。職業病です。
ここのお部屋は何年か前までは宿泊施設として機能していたそうです。
母屋の入口は広い土間になっていました。小上がりに囲炉裏がありました。そして黒光りした太い大黒柱。上を見上げると同じく黒光りした太い梁!古民家の好きなポイントです。
そして、今は残っていませんが、大沢温泉「依田の庄」の駐車場に明治時代には木造3階建ての製糸工場があったとか。観たかったな~。
旧依田邸は見学無料です。館長さんともゆっくりお話ができてよかったです。
(続く)
畳を通してお客様に感動とやすらぎをお届けします。
障子、襖、網戸の張替えも始めました。
株式会社 新海畳店
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静岡市駿河区登呂一丁目17-2
TEL 054-285-3509
FAX 054-283-2047
2021年07月02日
大好きな西伊豆へ行ってきました
こんにちは。
毎年1回は西伊豆に出かけている静岡の畳屋の姉さんです。
かなり時差ネタになってしまいましたが、5月15~16日、西伊豆に一泊旅行に行ってきました。
思えば今まで西伊豆に出かけていたのは8月の夏休みが8割、お正月休みが2割くらいだったでしょうか。この時期に西伊豆に出かけたことはほとんどありませんでした。
そこで今回は、幾つか行ったことのない所に行き、体験したことのないことを体験しました。
15日は堂ヶ島でトンボロ現象(干潮時に島まで歩いて行ける)と、洞窟巡り遊覧船を楽しみました。
トンボロ現象で現れた道は、石ころだらけで濡れている所もあるので、水陸両用の靴に履き替えてよかったです。やどかり、イソギンチャク、エビ、カニ、ハゼの仲間等が沢山いました。
洞窟巡りの遊覧船は、主人は初体験、私は二度目でした。何度乗っても面白いです。
宿泊先は土肥にしました。大きな花時計、手湯と足湯等、散策するにはいい所です。今回、和歌山牧水さんの像を見つけました。牧水さんも土肥がお気に入りだったのですね。
16日は松崎町に行きました。目的地は「大沢温泉 依田の庄」です。
こちらのことはある方のfacebookの投稿で知りました。どうやら県指定有形文化財旧依田邸の一部が日帰り温泉に改装されたようです。
古民家好きで温泉好きの私がここに行かないわけにはいきません!
温泉施設は令和2年に改装されたばかりだそうで、とても綺麗でした。入浴者の休憩室として和室が一室解放されていたので早速利用させていただきました。中庭が見えて寛げるお部屋でした。
温泉施設の奥の方には旧依田邸があり、無料で見学ができるので行ってみました。
ところで依田さんってどんな方だったのでしょう?パンフレットをもとに簡単に説明します。
依田家はそもそも武田信玄の家臣といわれ、武田家滅亡に際し伊豆に逃れ、大沢の地に居を構えました。江戸時代には庄屋として村民の生活を支えました。
19歳で11代当主になった依田佐二平は、弟、妹を養育しながら邸内に私塾大沢学舎を開き、近隣の子弟を教育しました。
また、維新政府の殖産興業政策を受け、伊豆で最初の製糸工場を建て、農家の豊かな現金収入の道を開きました。
更に奥伊豆に通じる天城峠を開通させたり、高等教育の場として私立豆陽中学(現県立下田高等学校)を創立しました。
弟の依田勉三は、慶應義塾で福沢諭吉とも交わり、北海道十勝平野の開拓を志し、十勝では「開拓の祖」として帯広市民の尊崇の念を集めているそうです。
なんだか大河ドラマを観ているようですね。渋沢栄一もそうですが、幕末~明治にはとてもエネルギッシュに世の中を変えていこうという人達がいたのですね。
次回は300年前に建てられた旧依田邸の母屋について書きます。